一気に寒くなりましたね!そんな心境の時間が最近多いです。
改めてコンニチワ。
エスケー住宅サービス東京本社です。
厳しい残暑の日々も通り過ぎ、秋も深まり、いよいよ年末もすぐそこ。
各所の紅葉スポットも見頃を迎えそうな雰囲気。
当方は神社仏閣のお参りがすきで、紅葉を目にする機会が非常に多いです。
社務所や本殿が、紅葉に囲まれている姿がとても好きなので
今からお礼参りのルートをわくわくしながらスケジュールを立てています!
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紅葉を見に行く、という意味での日本語の代表格と言えば
改めてみると中々いかつい文字並びの日本語です。
そしてこういった日本語には、諸説あるけれども伝説や昔話からきたといわれているものも。
由来となるお話や伝説は神社建設のキッカケにもなっていることが多く
当方はよく見かけることが多いのです。
…という前置きをしたのは、もちろん「紅葉狩り」もその1つだから。
「紅葉狩り」という言葉の由来には諸説ありますが
「鬼女紅葉伝説」
という信濃等に伝わる伝説が由来しているともいわれています。
*鬼女紅葉伝説*
平安の世、会津の夫婦が六天魔王に祈り美しい娘を授かり、呉葉(くれは)と名づけた。
16歳で都にのぼった呉葉は紅葉(もみじ)と名を変え、才知あふれる美しさが評判となり
源経基(みなもとのつねもと)の側室として寵愛を受けるように。
ところが経基公の御台所が病に倒れ病状が重くなると、「紅葉が呪い祈祷している」と噂が立ち、信州戸隠(とがくし)に流されてしまいました。
鬼無里の里にたどり着いた紅葉は、その美しさと教養から村人たちに敬愛されました。
しかし紅葉は都への思いは消えず、再び上京しようと戸隠の荒倉山の岩屋に移り住み
いつしか盗賊たちの首領に担ぎ上げられ、人々から鬼女と恐れられるようになり
噂が都に伝わると、帝は、信濃守・平維茂(たいらのこれもち)に鬼女討伐を命じました。
初戦は鬼の形相となった紅葉の妖術に敗退した維茂出でしたが、
別所北向観音に祈願をし授かった、降魔の剣(こうまのけん)で再度攻め、紅葉は降魔の剣に討たれました。
維茂は鬼無里に地蔵尊を祀り、紅葉の菩提を弔いました。
めっちゃ要約しましたが、ちょっと悲しい昔話。
鬼を狩る=紅葉を狩る=紅葉ということらしい、です。
こう見ると、中々ヘビーな由来。でも昔話ってそんなもん?
もちろん諸説あるうちの1つなので、他には
貴族が紅葉を眺めることを「狩り」に例えた
平安時代の貴族たちが実際に紅葉の枝を折り(狩って)、手にとって鑑賞していた
などなど、興味がわいてきそうな由来があるようです。
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様々な季語や習慣の言葉にも、
1つ1つ由来や伝説があることに、言葉の奥深さを感じます。
こういった知識が増えることで
違った見方で季節を楽しめるのかも?
いつか、こういった伝説の残る土地を回って
ノスタルジックに浸りたいなと思いました♪